学校の勉強は役に立たない! 意味があり無駄ではないと言う人のしょぼい言い分について考えてみた

 

どうも、筆者は現在学生をしています。この記事を読んでくださっている方も同じ学生という人が多いのではないでしょうか。

 

それとも子供に「学校の勉強って将来何の役にたつの」と言われて答えを探しに来た親御さんかもしれませんね。

 

誰しも子供のころに思ったことがあるであろう、学校で習った勉強は何に役立つのかということ。

 

さんざん悩んでも大した答えが出ず「本当に学校の勉強は将来使うのか?」とみんな頭のどこかで思っていると思います。

 

親が言うには、国の偉い人が決めているのだから役に立つに決まっているだとか国語は全ての基本だとか数学は考え方を養えるだとか。ネットで調べてみても大体そんな感じ。

 

だけどそんなことを聞いているわけじゃないんですよね。言葉にはしづらいですけど、上記の理由ならテストで優劣をつける必要も長時間机で退屈な話を延々と聞くだけの授業を受ける必要もないのではないかと思うからです。

 

今回は学校の勉強は本当に必要なのかということについて僕の考えを言っていこうと思います。

 

ネットで調べると学校の勉強に肯定的な内容がほとんどなので、現役学生の視点から半分グチのような意見を言わせてもらえればなと思います。

 

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学校の勉強をする意味

義務教育

他のサイトで書いてありましたが、義務教育とくに小学校までの勉強は今後の人生に大いに役立つと思います。

 

まず国語で言えば文法、文の構成の仕方や「へにをは」、また一般的に使用される漢字などが習えます。これらは知っておけなければ一般生活で苦労するレベルで必須です。

 

次に算数は四則演算や分数という概念、またあらゆる分野で使われる方程式という概念を学ぶことができます。これも家計などお金の計算をするときに必須です。

 

とまあいろいろ理由付けはできますが、同じような年齢の人と集団行動ができるという時点で通うべき一つの理由になると思います。

 

それによりコミュニケーション能力がつき、社交性がつき、人格の形成に大きく好影響をもたらします。

 

本当の意味で無学だと会話すらまともにできないし、今の世の中でやっていけません。義務教育というのはやはり必要だと僕は思います。

 

 

高等教育以上

しかし高等教育以上になるとどうでしょう。果たして生活や仕事をしていくうえで必要な知識というのは存在するのでしょうか。

 

もちろん先ほどもあげた同じ年の人と集団生活をできるというのはメリットではありますが、義務教育ですでに9年間団体行動を学んだ後ですからそこまでそれが重要だとは思えません。

 

高等教育で習うことはレベルが高く、完全な理解がとても難しいですし、僕たちの日常とはある程度離れています。

 

ですので僕は高等教育以上の学習はその勉強内容自体は無意味だと僕は思います。

 

ではなぜ高等教育というのをするかというと、それはおそらく優劣をつけるためなのではないかと思います。

 

やはり人間何かの基準がないと人が優れているかどうかなんて判断できません。何かに打ち込ませたとき誰が最も成果を上げられるか、それを見極めるのが高等教育以上の目的でしょう。

 

そしてそんな無理やり押し付けられた教育という価値観に僕達学生が素直に従うのは洗脳と言えるのかもしれませんし、就職において勉強が基準で採用が決まっているという現実からでしょう。

 

勉強しないというのは視野を広げるためとあるが、勉強で広がる視野なんてたかが知れています。

 

視野というのは今の時代いくらでもネットで広げられますし、僕がいくら言ってもしょうがないですが今の教育は少し時代遅れではないかというのを感じます。

 

 

学校の勉強は将来役に立つのか

学校の勉強は将来使うという主張をしているサイトは調べればかなりありますが、僕はそれにはかなり疑問を抱いています。

 

そもそももっと必要な知識というのは他にあるでしょうと僕は言いたいです。

 

わけのわからない数式や日常ではまず見ない漢字より節約の知識や投資について、ギャンブルの危険性、コミュニケーションの取り方、心理学、ファッション、メイク、最近の経済動向などなど。

 

もっと知っておくべき話というのはあるのにわざわざ小難しいことをあえて勉強させているという風にしか思えないのです。普通に意地悪ですよね。

 

そもそも学校の勉強というのはいろいろな分野を幅広く学習させます。

 

他のサイトではいざ必要になったときに困るという意見がありました。というかこの意見が結構見受けられました。

 

しかし効率を考えたとき、必要と思ったとき必要なだけやるのがどう考えても効率的ですよね。

 

福沢諭吉の言葉をここで借りたいとおもいます。

 

「活用なき学問は無学に等し」

 

まさに金言と僕はおもいました。将来必要と思ったら、それを学んで大いに活用すればいいと思います。

 

しかし将来必要になるかもしれないと思って一生懸命勉強してもそれを使わなかったら、学んでいなかったと変わらないということです。

 

そんなの寂しいじゃないですか。でもそれが現実なんです。

 

 

学校で勉強できるのは恵まれていることなのか

学校で勉強できることは恵まれている。だから勉強できることに感謝して学校に行きなさい。

 

僕は親からこういう言葉をたまにかけられます。ほかの家庭でもそういうことを言われた経験のある人は多いのではないでしょうか。

 

それは確かにそうなのでしょう。「アフリカの子供たち」というようなテレビのドキュメンタリーを見ると確かに日本とは違った過酷な環境だなと思います。

 

しかし僕にはそれがどうも身近には感じられません。なんというかそれを見たからと言って真面目に勉強しようとも好き嫌いせずにご飯を食べようとかお金を寄付しようとかいう感情がわきません。

 

アフリカの人たちは彼らで苦労しているのでしょうが、僕たちは僕達で日々ストレスを抱えています。ほかの人のために泣いてあげることは余裕はありません。こっちはこっちで生きるのに必死です。

 

全ての日本人にとって「勉強できる環境」というのは普通でありがたいことでもなんでもありません。そこにほかの国の人の事情とか知ったこっちゃありません。

 

世界を見渡せば僕らは恵まれているのでしょう。そして学校を疎ましく思っている僕達学生は贅沢なのでしょう。しかしそれが紛れもない本心です。

 

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学校の意義はいったい何

学校の勉強は義務教育までしかまともに将来使うものはなく、学校の授業制度も時代遅れ。

 

では学校自体にどのような存在意義があるのでしょうか。それともまったくもって無意味なのでしょうか。

 

僕はそんな風には思いません。勉強という面以外でも学校には大いに価値があります。

 

それは自分の将来を考える準備期間という側面です。

 

多くの未成年はまだ自分の将来をはっきり見据えているわけではないと思います。これという分野が決まっていて、これで生きていくという覚悟ができている人は本当にわずかでしょう。

 

学校の勉強というのは将来何をするか、また何をしたいかがまだ決まっていない人が自分の将来を見据えるのを後回しにするための存在だと僕は思います。

 

学校の勉強は正直役にたちません。しかし役に立たないからと言って何もしなければあなたに何が残るんですか、またあなたに何ができるんですかという話です。

 

経済的に成功する人は若くして恐るべき逸話を残していたりします。 きっとそういう人たちは小さなころから確固たる信念があったのでしょう。そういう人たちには学校の勉強は不要と言ってもいいです。

 

しかしまだ不運にも自分の人生をささげるべき対象が決まっていないのでしたら、その時はしっかり勉強をしましょう。

 

そうして大学まで行けば22歳まで猶予が与えられます。それまでに自分のこれからを決めるのです。

 

長くなりましたが、学校の意義というのは将来を決める準備期間であるというのが僕の結論です。

 

 

まとめ

今回は学校の勉強は役に立たないのかというテーマでお伝えしてきました。

 

結論としては、学校の勉強は義務教育までしかまともに将来使いませんが、だからといって学校の勉強をしなければ何も取り柄のない人間になってしまいます。

 

自分のこれからの時間を全てかけてもいいくらい熱中できるものがあれば学校の勉強は無意味ですが、熱意を向ける対象がなければ勉強をすることで人生を決める猶予期間を得ることができます。

 

また大学に行ってもそれが見つからなかった場合、大企業で福利厚生に恵まれている職場で働けるという権利を得ることができます。

 

学校の勉強が無意味なのかどうなのかという議論をすること自体が無意味です。言ってもしょうがありません。現状は変わりませんからね。

 

ただ僕たちは常に決断を繰り返して生きています。今学校に通っているのだって自分の選択にほかなりません。

 

自分が後悔しない選択をするためにも自分の全てをささげられる対象をなるべく早く見つけられるように努力しましょう。

 

何十年後に後悔してもそれこそ後の祭りです。

 

今日も見てくださりありがとうございました。

 

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